|
趣旨
ここでやってたことのつづきなんですが…。 映画だけでなく美術や舞台芸術、いろんなアートについて書いていきたいです。 つけては途切れ、長いブランクがあってまた始まり…といった気まぐれな日記ですが、まぁよろしく。 *参考リンク* jaja(わたしの本拠地) reckless lectrice(本,DVD,CDなど) jajaの映画のページ(昔の記事) *****おことわり***** 半角英数記号のみのコメント、トラックバック、およびこのブログ( http://jaja.exblog.jp/)へのリンクが元記事に存在しないトラックバックは、受け付けない設定になっています。スパムよけのやむを得ない措置なので悪しからず。 基本的にコメント、トラックバックは大歓迎です。上記設定にご注意のうえ、見知らぬ方もどんどん書き込んでくださいね! カテゴリ
日本映画
中国・香港映画 韓国映画 その他のアジア系言語 中近東の映画 英語の映画 スペイン語の映画 フランス語の映画 イタリア語の映画 ポルトガル語の映画 ドイツ語の映画 ロシア語の映画 その他のヨーロッパ系言語 監督 俳優 音楽 ダンス 演劇 美術 その他の芸術 以前の記事
2007年 07月
2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 04月 2004年 03月 最新のコメント
最新のトラックバック
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
劇場公開版をテレビで見ました。
岩井俊二って嫌いなのですが、どこか馬鹿にしていたところがあるのですが(失礼!)コレ見たらやっぱりたいしたもんだと思ったなぁ…。 監督本人がそういう嗜好あるかどうかわからないが(あるいは偶然かもしれないが)、これって、少女マンガの世界なのですよね。昔だったら陸奥A子。(わたしは嫌いだったけどやっぱりひとつの世界があった…)。世界をゆるがすような力はないけど(どっちかってーとおじさんに都合の良い少女イメージかもしれないけど)、ほんまにひたむきでちょっとエキセントリックでいとおしい少女の世界…。この映画に出てくるあれこれ、バレエを踊る少女、そのバレエのポーズの数々やみんなの笑顔、そして「あなたは記憶喪失です」なんて奇想天外な戦略でもってあこがれの先輩をゲットしようとする恋愛戦略とか(その先輩の優柔不断さも(笑))、少女っぽさがまるでぬけない恋愛中毒の母親とか、父親とのまるでデートのような甘い甘い休日とか思い出とか、かわいいものでいっぱい(だけど掃除してない)ごちゃごちゃの部屋や花いっぱいの家といったしつらえや小道具から、少女の仕草や姿勢や態度などの細部にいたるまで、みーんな少女マンガから抜け出してきたような…主人公の二人の少女はもちろん、周囲もみんなみんなとっても愛おしいです。 母親役の相田翔子とか、そのボーイフレンドの阿部寛とか、一見単なるおっさんだけど声の良い父親役の平泉成とか、めがねかけたきっついマネージャーでしかし私生活は男に甘いらしい(笑)広末涼子とか、大沢たかおとか大森南朗とか大柴ルーとか、周辺のチョイ役にも結構いい顔が出ていて、それぞれ味出してたのもなかなか…。 出演 鈴木杏/蒼井優/郭智博 監督 岩井俊二
「狸御殿」シリーズの雷蔵はほんとに明るい明るいプリンスぶりで、「明るい」ほうの雷蔵の当たり役のひとつ。もう反面の「暗い」(=陰のあるヒーローてやつね)雷蔵の当たり役といえば、まぁ『大菩薩峠』の机龍之助なんてのも忘れ難いのですが(なんせ冒頭いきなり人を斬る…しかも罪もない無抵抗の老人を何の理由もなく無惨に斬って捨てるなんてヒーロー、古今東西無比ではなかろうか?)、もすこしポピュラーなのでいけば、なんといっても『眠狂四郎』でしょう。
ところがこれって、大映で雷蔵のシリーズが作られる前に、東宝で鶴田浩二がやってたんですね!しかもそれが初の映画化。それを今月、チャンネルNECOが放送してくれてます。 まだ若い頃の鶴田浩二で綺麗綺麗!(鶴田浩二は後年いいかげん渋くなってからも良いけど若い頃の美しさも格別なのだ)。演出はわりとたらたらしてるけど、俳優らの顔ぶれはさすが東宝というか、勘所を押さえていて、河津清三郎、藤原釜足、上田吉二郎、三井弘次あたりも良いのだけど、今日放送してた第二作では平田昭彦の「いたちの源次」とかもいいな。女優陣もみんな美しくて、津島恵子、若山セツ子、中田康子とみんなそれぞれ個性を生かした役どころ。第一作の青山京子、第二作の河内桃子なんてのも可愛い可愛い!(河内桃子って、幸田文だったか青木玉だったかの随筆にも出てきますね。伯爵(だったかとにかく華族)の令嬢でほんとに美少女だったとか…。『ゴジラ』のヒロインがもっとポピュラーでしょうけど後の平成版にも出てたのがうれしかった!) おっと話がずれました。というわけで、鶴田浩二の眠狂四郎も素敵、雷蔵の狸御殿も素敵なのですが、かくなるうえは、オダギリジョーにも眠狂四郎をやってもらわないとね!(雷蔵の次には松方弘樹でしたがこれはもともとキャラが明るいひとなのでちと似合わなかった。田村正和のも見た覚えあるのだがこれはわりとはまってましたな。)たしか設定がハーフだとかで雷蔵も髪の毛を茶色っぽく染めてやってたような…。そういうとこもオダギリジョーにぴったりじゃない?とか…。 眠狂四郎無頼控 1956年・東宝・86分 監督:日高繁明 出演:鶴田浩二 津島恵子 青山京子 河津清三郎 北川町子 眠狂四郎無頼控 第二話 円月殺法 1957年・東宝・91分 監督:日高繁明 出演:鶴田浩二 津島恵子 小堀明男 河津清三郎 若山セツ子 眠狂四郎無頼控 魔剣地獄 1958年・東宝・92分 監督:川西正純 出演:鶴田浩二 木暮実千代 多々良純 水野久美 森繁久弥
木村恵吾の「狸御殿」シリーズ、わたし主なものはほとんど見ているのではないだろうか(しかもちゃんとフィルム上映のスクリーンで…われながらそんなもんどこで見てるんやと思うけど…)。高山広子、宮城千賀子(宝塚の凛々しい男役がぴったりだった頃の)や美空ひばり(監督はちがってたか)の白黒版も、若尾文子+市川雷蔵のカラー版のも…。そのとっても目出たくむちゃくちゃ楽しいちゃっちい書割りセットの映画おとぎ話の俗っぽくてきらびやかな雰囲気そのまんまに、これを現代版にしたらなるほどそのとおりだろうなぁと納得するところばかり。
ポップでリズムもメロディも口につきやすい音楽は、今やればなるほど大島ミチルに白井良明(にスカパラ)だろうし、木村威夫の美術もCGも平成狸御殿にぴったりだし、ロケ撮影やっててさえなんだか書き割りみたいなんだもんなぁ…ひとつひとつのショットやそのつなぎかた、俳優らの動かし方などは確かに清順流の外連味たっぷりの演出だし、唐から姫様をお迎えするのとおなじく、『ローマの休日』であったり『ロミオとジュリエット』であったり『白雪姫』であったり、まったく脈絡ない引用も楽しいし…。 デジタル出演の美空ひばりは、これ見ててぼーっと思ってたのが、そのうちコレみんな(大衆料金でできるようになれば)お葬式でやりだすんだろうなぁ…ってこと。まぁ、生前に撮ったビデオかなんかで故人自ら会葬者に挨拶ってのは今でもやってるか…。 チャン・ツィイーとオダギリジョーは脚の風情が色っぽかったです。そのむきだしの脚のように、なーんも考えなくても楽しい楽しい映画時間のなかにちらりと見える奇妙さ(奇妙さのゆえにあたまのどこかに引っかかりなにか色っぽい記憶/印象を残す)をかみしめながら、木村恵吾に化けた鈴木清順(その逆か)狸を味わう、二度も三度もおいしい映画かと思います。 監督:鈴木清順 キャスト: チャン・ツィイー、オダギリ ジョー、薬師丸ひろ子 由紀さおり、山本太郎、高橋元太郎、パパイヤ鈴木 篠井英介、市川実和子、平幹二朗
先に書いた『海を飛ぶ夢』に「相当ひねくれた冷たさがある」というコメントをいただき、それは全くそのとおりなのでそちらのほうから評価する目もあるか…と思い直しました。
で、この『DV』も、かなりの悪意というか人の悪さに満ち満ちた映画なのではないかと思います。ただ、その身振りがどうも自分たちに(男性たちに/加害者たちに/映画人らに)甘いような気がして「おたくらも共犯者だろ」って拗ねて甘えて居直っているようにも見えなくもないのがなんとも…。 あらかじめ言っておきますと、DV(ドメスティックバイオレンス)についてお勉強したいとか、有効な処方箋は何か教えてほしいとか、あるいは社会的正義を求めているのだろうとか、そういうふうに期待して見に行く方々は、肩すかしを食わされると思います。お勉強映画としてはチョット認識不足のところもあり、処方箋とか社会的正義へのメッセージとかそういうのははなっから志向していません(そんなこと映画のシゴトではないと思ってるのであろう。それは全くそのとおりだと思う)。 DVの現場というのを(特にそのハイライトである身体的暴力場面を)同時にドキュメンタリーフィルムに収めるというのは不可能なことだし、そういう意味でFrederick Wisemanフレデリック・ワイズマンが撮った二本の(三本目もあるという噂なのだが)" Domestic Violence "『DV』なるドキュメンタリー映画、特に法廷場面を離れない2本目では、DVという密室の関係、時代や社会がちがえば別のことばで呼ばれるかもしれない関係が、DVという概念ができてから後の「制度」のなかに位置づけられる、その現場を克明に写していて、秀逸だったと思う。 では、わたしたちは(『桜の園』とか『コキーユ』とか『でらしね』とかちょっとねっとりしっとりした男女関係あるいは恋愛関係を描くのが得意な)中原俊が撮った劇映画の『DV』に何を観に行くのか?ひょっとしたら、ドキュメンタリーでは捉えられえないDVのまさしく現場、ありていにいえば暴力場面を「どんなにスゴイ暴力が撮られているんだろう?」とかワクワクしながら見に行くのではないのだろうか?…そして(当然だけど)俳優たちの演技はいかに迫真のものであれ、ホントに殴っているわけではない、のを確認してホッとしたり物足りない気になったりするのではないか?「男の人が上に立ったほうが…」という宝石店の女店員とか「愛よ」という女医とか〔こういうやつは今時もういないだろう(苦笑)とも思うのだが…それともまだいるんだろうか?〕、「たいしたことない」といい「奥さんを大切にね」とか説教すればそれで自分の気は済む警官とか、ひそひそうわさ話をする隣人たちとか、ちょっと戯画化されすぎ…でもあるのだが、そういう周囲の登場人物らと、観客が一緒になって、DVの構造を補強しているのではないだろうか。 そこで気づくのは、だいたいが「暴力」「セックス」「愛憎(そういう名で名付けられてなくてもなんらかの精神的操作・コントロール・支配・駆け引きといったもの…)」というのは、ひとが娯楽映画に期待する三大要素ではないのか…ということだ。つまりは、ひとはDVに眉をひそめながら、自分は関係ないと安心しながら、他人の暴力の現場を「覗き見たい」欲望にうずうずしているのである。 その「のぞき見」の欲望が映画というシステムを支え、そしてDVの構造を補強している。DV当事者(加害者も被害者も)と映画と観客とは完全に共犯関係にあるのだ。それがハッキリわかる仕掛けも映画のなかにあって(ネタバレはしませんけど)、監督がそれをしっかり意識しているのもわかる。 男たちに甘い(そんな概念、無効であることがとうに明らかになってる)アダルトチルドレンかい!みたいな決着で、宙ぶらりんなところに加害者らは(観客も)放り出されるのだけど、ラストはまた被害者として当事者になった女が、この構造のなかにしっかり組み込まれたかたちのままで復讐を図るという意思がハッキリしてて、かなりゾッとします。 監督:中原俊 出演: 遠藤憲一 英 由佳 More
なんかやたら出演陣が豪華です。妻夫木クンとか麻生チャンとかARATAとか大森クンとか今をときめく若手俳優らをこんなふうに贅沢に使っちゃってええもんでしょか?そういう映画中心の(アイドルよりもちょっと癖のある)彼らよりも、しっかり目立ってええ役をもらってるのが舞台系の人気者たちで、これはま、監督の出自からいって当然でしょう。
観客らもその系の人たちが多いらしく、関西で人気の古田新太なんてたいして活躍しないにもかかわらず、なんか変に受けてました(笑)。あと阿部サダヲとか松尾スズキとかも人気あるらしくよく笑いとってましたね…(阿部はともかく松尾はほんまにおもしろかったし…)。勘九郎が出てきたあたりは(わたしなんぞは)「お父ちゃ〜ん!(笑)なにやってんの!?」でしたけどそのあたりはあんまり受けてませんでした…。森下愛子とか岩松了とか毒蝮三太夫とかのあたりは、昔とあんまり変わってないのが不思議…。 もちろん特筆すべきは荒川良々のつかいかたです(エンドタイトルにいたるまで…こういう増殖する妖怪変化のワザは昔っからありますけどね)。このキャラクターって監督からよっぽど愛されているんだろうなぁ…というか、そこはかとない(ってこともないか、そもそもゲイのカップルが主役なんだし)ホモセクシュアルの世界をまもる女神さま(ヴェヌスか菩薩か如来か…)、または性別のどっちでもないアニマ(アニムス)か…奇想というのか、いやけっこうありふれた発想というべきか…。 …なんつーか。しりあがり寿も、クドカンも、わたしはどうも合わないというか嫌いとかどこかで書いた覚えがあるのですけど、「その手は知ってるよ!ふん」とかわざと言いたい部分があって…。イマージュの構造(あるいは発想)は意外と保守的ではないかと思ってます。いや才能はやっぱあるんでしょけどね。 監督・脚本 宮藤官九郎 出演 長瀬智也 中村七之助
これは成瀬巳喜男の初期作品のなかでも、明るさ、軽妙さが表に出た作品。トーキー第一作の『乙女ごころ三人娘』も大好きだったけど、これは第二作にあたる。無声映画時代から培ってきた確かな演出(音がなく画面だけで演出するギャグやドラマ)と、もともとは落語だったらしい言葉/セリフのおもしろさ(おとなりのおしゃべりで図々しいおばさんの戸田春子とか)、その二重構造が、女優という商売のフィクションの世界(お芝居)と現実(夫婦喧嘩をまずは芝居の稽古でリハーサルし、次にマジに反復する)、女と男の社会的逆転(売れっ子女優の妻に養われている売れない童謡詩人。それがまた「ご主人様」として逆転する)。可笑しみが反復されてさらに可笑しくなる巧みな喜劇である。奥さんがその詩人を呼び捨てに呼ぶ「月風〜」という声も佳いけど、(あとで離婚しちゃったけど)成瀬の最初の奥さんになった千葉早智子のちょっとお嬢さん然とおっとりのんびりした明るさも、作品の明るいトーンに貢献している。
ボヘミアンとしてはさらに上手の藤原釜足が転げこんできても(こういう人物は今だとどこへも行きようがなくてホームレス化しちゃうんだろうなぁ…)、たいして意気込んだりがんばったり落ち込んだりすることもなく、だけどちょっと口とんがらせながら飄々とふつうに生きてるとこが、人情喜劇としても突き抜けていて(変な人生訓がないだけ)素敵な作品です。 出演 宇留木浩/千葉早智子/藤原釜足/三遊亭金馬 監督 成瀬巳喜男 原作 中野実 脚本 永見柳二 撮影 鈴木博
日本映画専門チャンネルで放送中の成瀬巳喜男初期作品より。
後々有名になった数々の女性映画でもそうでしたが、このひとって初期の頃から、未婚の母とか、都会に出てきてカフェーの女給から売春婦へ…と堕ちていく倫落の女とか、子どもを捨てて男に走る女とか、女性にとってキビし〜い物語をかなーり淡々と(思い入れたっぷりとは正反対のあっさりさで)描いちゃうのね。 でも、後々の名作でもそうだけど、この監督が撮るとどんなにタイヘンなシチュエーションでも決して下品にはならず、ドロドロしたり強引になったり強烈になったりせず(『禍福』なんて「禍福はあざなえる縄のごとし」ってやつでしょけど『真珠夫人』と同じく菊池寛の原作じゃん。しかも入江たか子は後の化け猫女優(笑)、ドロドロの情念メロドラマになってもおかしくないのにこれだけあっさりできるのは奇跡かも…)、かえってすこし諦念をこめた(男/女、あるいは階級の異なる/立場の異なる人々は、決して通じ合うことはない…みたいな)軽妙な可笑しみがこめられることがあって、なんともいえない哀しみが漂います。それこそ「ヤルセナキオ」の真骨頂か…。 黒白のコントラストをあまりつけずグレーの中間色のトーンを微妙に描くルックスの設計も、タメをつくったりしない編集のリズムも、演技を抑え気味にした演出の味も、背景の風景のつくりかたも、その独特の映画的情緒に貢献していると思う。そこはかとないユーモアでいえば、たとえば『禍福』で、清川虹子が、未婚の母の入江たか子を訪ねてきた、金持ち令嬢でそれと知らずに入江から男を奪うことになった竹久千恵子に「これ今川焼って申しますの…」とか言いつつ商売ものの今川焼をお茶菓子に出してきたりするとこなんてなんか笑った笑った(笑)。 特に倫落しなくても、不倫とか商売とかでなくても、たとえば新婚旅行みたいにまっとうな二人の場面であってさえ、温泉旅館の初夜の夜とか、なにかしらかにかしら男から(あるいは社会から)理不尽な運命を押しつけられる「女」の悲しみ、哀しみがひしひしと伝わってくるみたいです。 『朝の並木路』1936年 出演 千葉早智子/大川平八郎/赤木蘭子/清川虹子/清川玉枝/三島雅夫 監督 成瀬巳喜男 脚本 成瀬巳喜男 撮影 鈴木博 『禍福』(前篇/後篇)1937年 出演 入江たか子/高田稔/大川平八郎/竹久千恵子/逢初夢子/丸山定夫 監督 成瀬巳喜男 原作 菊池寛 脚本 岩崎文隆 撮影 三浦光雄
赤坂真理のコトバに映像つけた『ヴァイブレータ』、女の子同士のもやもやを描いた『ガールフレンド』、そしてやまだないとのコミックの映画化である本作と、女の原作(幻想)を男の脚本家・監督の手で映像(べつのかたちの幻想)にする仕事が続いてますな。
男/女の二分法で語るのがかっこわるいことは承知してるが、なんだかそうとしか言えないんだもん。それだけ、ここが女のファンタジー部分、ここは男のファンタジー部分というのがハッキリ見えすぎて、なんちゃらんて感じ(笑)。 『ヴァイブレータ』はかなりそのとろけぐあいがうまくいってて、脚本家・監督の男の(子どもっぽい)意地なのかちょこっと捏造が見えてさえ、ヒロインがリアルで生き生きしかもエロで良かったんだけど、今回のは原作がマンガということもあるのかもしれないが、洋館だのフランス映画だのバスタブだの道端の十字架の墓(^^;)だの、なんかかっこつけてるだけのヤクザらしい男たちだの…女のファンタジー部分が浮きまくっていますな。に対してこれは男のファンタジーだろーと思われるヒロインの女子高校生像(安藤希ちゃん、いい素材なのに惜しい)やエッチ場面などはもひとつ切れ味が悪いし…。画面はまぁ、綺麗で上品でしたけど、きれいなだけでは映画にゃならんだろー(そりゃ韓流のしょーもなさすぎる恋愛映画類よりはよっぽどましだけど…)としっくりこない気分が最後まで続いてしまいました。 監督:廣木隆一 出演:安藤希/田口トモロヲ/村上淳/大杉漣
“子どもVS大人”の構図を描いたとてもシンプルな映画だと思う。少なくとも『誰も知らない』とか『エレファント』とか(それらも好きな映画ではあるけれど)のように、なにごとか余分な感情を漂わせセンチメンタリズムに湿るような演出はされていない。もっとからっとしてそれでいて叙情豊かで…やっぱりこの監督巧いと思う。
オウムを思わせる新興宗教は、子どもを閉じ込め、ある特定の場所に連れていきその閉域の世界概念で子どもを侵食し尽くす“車”の別のかたち(の道具立て)でしかあるまい。 そう。大人はみんな退屈な自家用車に乗っている。そして子どもは自分の足で歩き、自分の脚で走る。大人が勝手に連れてきた(もちろん子どもがそれを利用し依存する側面もあるのだが)領域から脱出し、走る子どものたくましさ。それはまるで忍者のように訓練された存在でもあり悲しく儚くそして同時に深奥から噴き出る衝動をもった毅い存在でもある。大人のなかでもちょっと逸脱した女二人のカップルもいいですね〜。こういう駆け引きは監督が学生映画時代のむか〜しっから描いてきたような…。 監督 塩田明彦 出演 石田法嗣 谷村美月 西島秀俊 甲田益也子 りょう つぐみ
昨日とはエノケンつながりでした。唄も踊りもないエノケンはわりと陰鬱であんまりコメディアンっぽくない。
これは戦時中に製作された映画だけあって(というかそもそも日本人が好きな?)主君への忠義譚ではあるのですが、なんだか奇妙にエピソードばらばらで(よく知られた話だからか?)セット・ロケ撮影も変に豪華。撮りかたもテンポもわりと一本調子でヘタだしなんだけど、仙台藩の秘密?を書いた扇を町中が追っかけてくドタバタ場面などやたら突出しているし…。そのアンバランスさがおもしろいといえばおもしろいのですけど。 監督:斎藤寅次郎 毛利正樹 原作:野村胡堂 脚本:如月敏 志村敏夫 出演:榎本健一 花井蘭子 黒川弥太郎 若原春江 東宝/91分/モノクロ < 前のページ次のページ >
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||