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趣旨
ここでやってたことのつづきなんですが…。 映画だけでなく美術や舞台芸術、いろんなアートについて書いていきたいです。 つけては途切れ、長いブランクがあってまた始まり…といった気まぐれな日記ですが、まぁよろしく。 *参考リンク* jaja(わたしの本拠地) reckless lectrice(本,DVD,CDなど) jajaの映画のページ(昔の記事) *****おことわり***** 半角英数記号のみのコメント、トラックバック、およびこのブログ( http://jaja.exblog.jp/)へのリンクが元記事に存在しないトラックバックは、受け付けない設定になっています。スパムよけのやむを得ない措置なので悪しからず。 基本的にコメント、トラックバックは大歓迎です。上記設定にご注意のうえ、見知らぬ方もどんどん書き込んでくださいね! カテゴリ
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ストローブ=ユイレ『ルーブル美術館訪問』
実はもうDVDになっているのですが( http://jaja.livedoor.biz/archives/51129262.html) ちゃんとフィルムで見たいと思って見に行きました。こういう上映会がもっとたびたびあるといいけど…。 ルーブル美術館のなかの、実際にセザンヌが見たとおぼしき作品が映し出され、それにセザンヌのことばがなにやら緊迫したような女声に乗せて語られる。 まあある作品やある作家はもうけちょんけちょん、ある作家ある作品は擁護され、絶賛される。挙げ句の果てに「ルーブルを燃やしてやる!」だもんね。滑稽なまでの真摯さに、美しい映像とことばで向き合うとき、まあ世の中の美術番組が嘘とおべんちゃらで塗り固められていることと思います。 Une visite au Louvre (2004) Directors: Danièle Huillet Jean-Marie Straub Writers: Joachim Gasquet (book) Danièle Huillet Cast Julie Koltaï... Paul Cézanne (voice) Jean-Marie Straub... Joachim Gasquet (voice) Cinematography by Renato Berta William Lubtchansky
ジャッキー・チェンの息子の登場で思い出した。これ、しばらく前に見て書こうと思って書いてなかったやつ。
ジャッキー・チェンが、自分は一人息子だと思っていたのに母方にも父方にも前の婚姻でのきょうだいがあり、異母きょうだい、異父きょうだいが幾人もいたという話。というか、ジャッキーの父母(このおふたり、特にお父さんはマスコミなどによく登場するので既におなじみの顔ですが)それぞれの人生のドキュメンタリー。普通の中国人はみな多かれ少なかれこういう波乱の人生を経験してきたのだろう。たまたまその男女が後に設けた子どもが後にアジアのスーパースターになったというだけで、なんら特別のことではないのかもしれないが…。 それにしても怒濤の人生。それは中国という国・土地の運命、中国近代〜現代史の変転とともに生々流転する…。 メイベル・チャン(『宋家の三姉妹』97などで名を成している女性監督ですが)の語り口はやや甘い(というか通俗的)のが気になるけど、事実を淡々と追っていて、出てくる人たちの表情も良いし、ジャッキーとその父母、そして異母きょうだい、異父きょうだいらとの微妙な関係も、本人らはそれを口に出したりはしないけれど表情やその場の雰囲気、言葉(広東語、北京語、英語)、仕草などでわかるという。秀逸なドキュメンタリーだったと思います。 そうそう。ティ・ロン狄龍のナレーションもすごくよかったです。 ジャッキー・チェンのファンのみならず、いろんな人に見て欲しい。 TRACES OF A DRAGON Jackie Chan & HIS LOST FAMILY (C)2003Jakie&Willie Productions.LTD All Rights Reserved. 提供:ジャッキー・チェン 製作:ウイリー・チェン/ソロン・ソー 製作総指揮:アレックス・ロウ 監督:メイベル・チャン張婉[女亭] 撮影:アーサー・ウォン 編集:モーリス・リー 音楽:ヘンリー・ライ 音響:キンソン・ツァン 出演:ファン・ダオロン(ジャッキー・チェンの父)/ジャッキー・チェン成龍 ナレーション:ティ・ロン狄龍
何の予備知識もなしに行ったため、この錚錚たるメンバーが惜しげ無く出てくる映画で、また若手もアイドル顔の可愛い子たちがいっぱい出てる中で、なんでこの地味顔の男の子が「選ばれた者」になって主役を張ることができるのかな〜と不思議でたまりませんでした。なんのこたない、ジャッキー・チェンの息子だったのですね。そう言われれば顔つき似ておる…。
物語も画面も普通にちゃっちい他愛無い香港SFX時代アイドル映画ですけど、ちょこちょこ出てるメンバーやたら豪華で、ツインズの二人をはじめ女の子たちも可愛くてきれいで、それなりに楽しめました。ドニー・イェン、このごろこういうええ役やることが多いですね。 花都大戦:ツインズ・エフェクトII (2004)BLADE of ROSE The Huadu Chronicles : Blade Of The Rose (a.k.a. The Twins Effect II) Producers : Albert Lee, Zhao Jian Guo Director : Cory Yuen元奎, Patrick Leung梁柏堅 Starring : Donnie Yen甄子丹 Jaycee Chan房祖名 Charlene Choi蔡卓妍 Gillian Chung鍾欣桐 Co-Starring : Tony Leung Ka-fai梁家輝, Chen Po-lin陳柏霖 , Qu Ying瞿穎, Fan Bing Bing范冰冰 Special Guest Appearance : Jackie Chan成龍,Daniel Wu呉彦祖 Guest Starring : Edison Chen陳冠希
6時間の大作。うーん力作だけどもう一つ感心しなかったなぁ…。テオ・アンゲロプロスの偉大さがよくわかります(って較べると気の毒かもしれないけど)。どこがあれって、たとえば現代史に体験した市街戦なんかを再現するとき、それらしい街並みを選び(あるいはセットでつくり)、戦車や軍人や武器や爆弾などを配置して火薬を焚き、当時の服装を身にまとっている人々を逃げまどわせる…だけでは、どうしてもその時代のリアルな感じが出ないのよね。いかにもとってつけた感じ、ちゃっちいつくりものの感じが拭えない。こういうベタなのを見ると、ああそういえばアンゲロプロスなんかが市街戦を演出するときどうしてたかなぁ…とか思い出してその違いをあらためて思い知らされる。
そういうのもふくめて画づくりは全般的にテレビっぽくて平板で退屈でした。俳優らの演技もみんな達者だけど可もなく不可もなく無難で見やすい、家族や人間の正義や善意を顕彰し過ぎ…つまりは「良心作」ってところなんでしょう。いちんちテレビ放送やって、家族みんなでテレビの前に座り、間に休憩はさみながらのんびり見るのがあってるんじゃないかな? 中身はイタリア人が見れば、ああそうだったなぁ…と思い出に浸れるようなここ3〜40年ばかりの現代史をある(典型的な?)家族の歴史から語るもの。主人公らは日本でいえばいわゆる団塊の世代にあたる人たちでしょうか?68年当時に学生運動で騒いだ人たち、ヒッピームーヴメントを体験してバックパックで世界旅行した人たち。シチリアのマフィア闘争のこと、赤い旅団など、イタリアの人たちにとっては忘れられない事件。あとイタリアが北朝鮮に負けた屈辱の試合(笑)とか、サッカーのワールドカップの名試合が織り込まれていて、こういうのが彼らの共通の時代の記憶として刻まれているのだなぁ…と。 つまりはイタリア人のためのいかにもドメスティックな映画なんちゃん?国内向けという点では、たとえば英語が出てきても(たぶんほかの外国語でも)どう聞いてもなまりがあったのだが(笑)、世界市場に出すのではこれはあかんのんちゃん? ハリウッドでもひところ流行ったけど(今も流行っている?)、そろそろひとびとの記憶から薄れようとしている現代史をこうしてあらためて振り返って再構築して見せるのがいまのトレンドなんでしょうか。でも気になるのは、きっとそこで物語化され、美化され、抽象化され、脱け落ちていくものが多いだろうこと。忌まわしい事件も過去のものとなってしまえば「ああ、あんなこともあったなぁ…」とそれだけでええんかい!って。 家族のなかの(どこの家族にも必ずいる)ストレイシープの造形、そしてラスト近く、死人がふいと現れて生者ふたりを結びつけるその場面だけは良かったな。涙が出ました。 Meglio gioventù, La (2003) Directed by Marco Tullio Giordana Writing credits Sandro Petraglia Stefano Rulli Cast Luigi Lo Cascio....Nicola Carati Alessio Boni....Matteo Carati Adriana Asti....Adriana Carati Sonia Bergamasco....Giulia Monfalco Fabrizio Gifuni....Carlo Tommasi Maya Sansa....Mirella Utano Valentina Carnelutti....Francesca Carati Jasmine Trinca....Giorgia Andrea Tidona....Angelo Carati Lidia Vitale....Giovanna Carati Cinematography by Roberto Forza
sessomattoってズバリ「セックスマニア」ですね!「色情狂」といったところか。英語タイトルは「How Funny Can Sex Be?」。エロ小話オムニバスです。
ジャン=カルロ・ジャンニーニとラウラ・アントネッリといえば、この後ヴィスコンティの『イノセント』で格調高〜い共演を見せる二人ではないか! こんなことやってたなんて…(笑)。顔つきは上品(額がひいでて目が離れ気味できれい、口元上品で唇は薄め)で美人なのに、ラウラってなーんともいえずエロ!(実際若い頃はむしろエロ女優でした。後年はシリアスな役柄を演じるようになったけど)。ジャン=カルロのほうはなんか、もう、ひたすら「変」。濃くて、べたべたねちねちしてて、ヘンタイでkinky(おんなしことか(笑))。そのふたりが、召使いと奥様、貧乏なDVカップル、変な新婚カップル、教授と尼僧…などなど、いろんな役柄とっかえひっかえ、さらには(ラウラは出てないけど)老女マニアありーのオカマ娼婦ありーの、まぁあきれるぐらい可笑しい可笑しい。画面の色はきれいで、70年代のだらしなーい雰囲気むんむんで、演出はあかぬけなくてたらたらしていて、そこがまたよろしい。ディーノ・リージって、よく名前聞くけどそういえば代表作何かな?と首をひねりますね。娯楽映画監督の中堅どころかと思います。 そんな他愛無いエロ映画なのに、一瞬ベルトリッチがこだましたり、フェリーニのかげがふとちらついたり…それがあるからこそのこういう小品なわけで、イタリア映画ってやっぱ偉大だ! Sessomatto (1973) Directed by Dino Risi Cast Giancarlo Giannini Laura Antonelli Original Music by Armando Trovajoli Cinematography by Alfio Contini
作家が町で拾って来たと思しい音が入ったカセットテープを使いその音に電子的な(?)効果をかけてさまざまな音像をつくりだし、赤レンガ倉庫の空間をいっぱいに充たす…。もとになった音はわからない(しゃべり声に聴こえても意味がわからない、どこの国のことばかもわからない、機械音か乗り物の音かなんかに聴こえても元がなにかわからない)が、なんとなく見当がつき、どこかなつかしい街の雑踏やら駅やら道やら工事現場やらいろんな場所にいて耳に増幅器でもつけてじっとしているような感じ。
ろうそくの演出は近頃ありがちだとはいえ、この赤レンガの建物をカテドラルの記憶とむすびつける。信仰のないカテドラル。ほんものの寺院が、共同体の(意味ある)声・声・声が折り畳まれて渦巻いている場だとすると、こちらは意味を剥ぎ取られた(しかしどこか街の記憶/イマージュに触れる)音・音・音が渦巻いているといったところか…。 良かったです。 同時上映のシネマージュは一転してややロマンチックな記憶の風景。隣の棟で演じられている音がバックになって、個人的な記憶が衒いなくあたりまえに綴られる。 Sound Art Lab 2005 vol.3 恩田晃/カセットメモリーズ (同時上映 / シネマージュ インスタレーション) 2005年9月17日(土)、18日(日)16:00- 21:00 (19日は「恩田 晃、 鈴木 昭男 デュオ・パフォーマンス」) ■会場:大阪築港・赤レンガ倉庫 ■出演:恩田 晃(音楽家、写真家、プロデューサー)
9月11日 新世界ブリッヂ
フェスティバルゲートの最上階(それにしてもフェスゲもどうなってしまうんだろうか?)にあるおもしろいスペース。ライブハウスってだいたい窓が無く(たとえ広くても天井高くても)閉鎖的な倉庫みたいな空間が多いけど、ここは夜景が見渡せる開放的な空間で気持ちよい。下を通るローラーコースターのせいでコンクリートの床がときどきゆらゆら揺れるのもなんとも…(1フロア下にある映画館シネフェスタも揺れるけど…)。 宣伝不足なんだろうなぁ…客が少なくて気の毒だったけど、まぁちゃんとやるだけのことは演っていったという感じ。それにしてもこのての電子音楽てのは、どこまでがハウリングのたぐい(意図しない雑音)なのか意図した音なのかわからないところがなんとも…(苦笑)。 MIT/2は電子音楽と打楽器で構成された音でありながらどこかメロディアスで古典的な西洋音楽の記憶を引きずってるところがあり、またコンセプチュアルでもある。ドイツ語が母国語の奴らなのでIch bin Wasser(それぐらいわたしでもわかるI am water)とかドイツ語のことばの破片がまじるのもおもしろい。 DORIT CHRYSLERは赤いドレスがよく似合う金髪の美人!あらかじめプログラミングした楽曲をバックにテルミンを演奏しながらちょっとスィートなヴォーカルも聴かせてくれる。曲想も歌詞(こちらは英語)もポップだし、テルミンを操る手の動きや仕草もかっこよくて、これはもっと人気が出ても良いのではないか。 FONは打って変わって無機質な電子音(ビートとノイズ)とリズムだけで構成されたような音。なかなか良かったです。 最後はMIT/2とFONの4人でDORITのbirthdayをお祝いする曲をひとつ。内輪受けの感もあったけど、楽しいひとときでした。 *****以下、ブリッヂのサイトから引用***** 「Vienna electronica site」 オーストリア・ウィーンにて注目される3組のエレクトロニカアーティストが来日。 愛知万博でのライブを経てブリッヂに。ヨーロッパ発信の先端エレクトロニカ。 ●DORIT CHRYSLER テルミン奏者としてよく知られているが、その他ヴォーカリスト、ギタリスト、プロデューサー、エンジニアとしても豊かな経歴を持つ。NYのロックカルテット”HALCYON”のメンバーでダイナソーjr、マリリン・マンソンらとも共演。また、エリオットシャープ、マットジョンソン(ザザ)らとも演奏。2000年よりソロ活動を再開させ、アメリカ、ヨーロッパ等のフェスティバルに多数出演。また彼女が制作した”1%”というサウンドインスタレーションがFrench cultural ministry(フランス文化省)の常設展示となっている。余談であるが今年自らプロデュースしたソロCDが ヨーロッパでたった2か月のうちにsold outした。 ●FON オーストリア在住。ゲームマニアである彼等は、ゲームの審美性、機能性より多大な影響を受け続け、その音楽に独特の色を付加している。先端的なデジタルツールを駆使し、日常に溢れる電子音をモジュレーティングし、ビート、響きを持つハイブリットサウンドへと変換するシステム[FON]。彼等の主宰するプログラマティックレーベル[Werkzeug(ヴァークツォイグ)]から5作品のCDがリリースされている。音はもちろんそのパッケージのデザインでもヨーロッパにて注目されている。 ●MIT/2 オーストリア在住。ペインティングアーティストであるnikolaとデジタルエンジニアであるrainarのデュオ。先鋭的デジタルプログラミングツールを使用する彼等であるが、その音楽性は非常にストイックかつ静謐、何処かアナログ感のあるものである。愛知万博でのコンサートを切っ掛けに2度めの来日。
(この作品について書き込むのは二度めですが…)
チャンネルNECOで(全40話中)20話の峠をようやく越えました。 後半を彩るアンチヒロインの阿紫、後半の実質的ヒーロー虚竹も登場しましたが、だんだんしんどくなってきたなぁ…。原作本はかなり前に読み終えたのだが、これってめちゃくちゃ陰鬱な物語ですね!凄惨というか…主要登場人物らがばたばた死ぬのは金庸の常套ではあるけど、こんな死に方、こんな末路なんて…。なるほどテレビシリーズでも、陰々滅々の(笑)(唄のない)オープニングテーマ、フェイ・ウォンの歌うエンディングテーマも『寛恕』ですもんな!なるほど物語の陰惨さをよーくうつしているわけですな。 それにしてもこの阿紫のキャラクターなんとかしてほしい。原作の阿紫はすごいんですよ。アンチヒロインの名にふさわしいというか、ふつう“悪女”のキャラといえば“ファムファタル”でしょ。前半の悪女たる馬夫人なんてその典型だけど、ファムファタルってのは男を誘惑し破滅させるのが存在意義。そういう意味ではやっぱり男に(負のかたちであれ)依存している存在(男がいなければ無に等しい)であるのに対して、阿紫は徹底して自分のために生きている(そりゃー男に惚れて無茶したり男を破滅させたりするけどそれもぜんぶ自分のためにやってるのだ)。で、品性が芯から悪くて、邪悪で残酷でひでえやつで、そこがめちゃくちゃ魅力的なのだ!それなのにテレビのこの女優さんの演技みてると、ただのイカレタ頭の悪いわがまま娘にしか見えんもんなぁ…困ったもんだ。なんせ原作小説を連載中、連載が途切れたら読者に悪いってんで金庸の友達の別の作家が書いた部分があるんだけど(あとで金庸本人が全面的に書き直したらしいがプロットは生きている)、その友達の作家さんが阿紫が嫌いで嫌いでたまらなくて○○(←ネタばれになるので伏せておきます)にしちゃったってーくらい(笑)なんだから。 虚竹も、ほんまはもっとゴツゴツした醜男じゃないといけなかったんちゃん?でもまーこのキャラクターは、この陰鬱な物語のなかで唯一癒されキャラというか、ほんわかキャラなのでこれでいいのかもしれません…。 天龍八部 DVD-BOX 1/ マクザム
なんというしょぼい拾い子、なんというしょぼい売春、なんというしょぼいヤクザ…。その「しょぼさ」が映画的豊かさに変貌する、なんというスリル!
リストラされた男がわずかなうどん代に困ってどのようにお金を作ろうとするか?という冒頭のエピソードからはじまって、なんとも唐突な捨て子の出現とそれを拾う動機…。リアリズムとか言ってしまうのが惜しいほどの陰翳に豊んだゆたかな描写だと思う(山下敦弘のあたりの貧乏藝とはひと味ちがう)。安陽の街の風景、登場人物らの暮らす部屋、外見はほどほど立派なのに中に入ると単なる安食堂のうどん屋、ふつうに言えばまったく「綺麗」なところは皆無なのだけど、この繊細なキャメラにて凝視されスタンダードの端正な画面に切り取られると「美しい」としか言いようがなくなる。昔々の肉体派女優、万里昌代にちょっと似た美人の若い娼婦と、しょぼい中年男との思わぬ出会い、赤ん坊を(べつの理由から)狙うヤクザたち、それぞれの思惑が交錯して、なんというサスペンスに満ちたドラマが展開されることよ…! この作品ってしかし予告編はおろかチラシも見なかったしほとんど宣伝されてなかったんじゃーないでしょか。もったいなーい! 監督・脚本:王超ワン・チャオ キャスト:チュ・ジエ/ソン・グイリン/ユエ・スンイ
『未知との遭遇』と『スターウォーズ』(シリーズ第一作)が揃い踏みした1977年から四半世紀あまりを経て、またスピルバーグの『宇宙戦争』とルーカスの『スターウォーズ』(シリーズ最終作)が揃い踏み…なにか感慨深いです。
しかし『宇宙戦争』というと、『スターウォーズ』とどこがちゃうねん(笑)とかいわれそうやな。原題みるとちがいがはっきりしとるんですが(宇宙で戦争するわけではないからよく考えるとこの邦題はおかしい)。でもこのタイトル、H・G・ウェルズの原作小説をまだ若きオーソン・ウェルズがラジオドラマ化して、そのあまりの迫力に「火星人来襲!」がほんとのニュースだと勘違いした大衆がパニックを起こしたという曰く付き。だからこれでいいんでしょう。 スピルバーグ嫌いだしパスしよかなとも思ったのですが、やっぱり見といて良かった!堪能しました。もう、やっぱり、ハリウッドの一流どころが結集した作品は、サスガというしかないです。画面の迫力、CGの使い方などもすごく洗練されてきてヤヌス・カミンスキの美しく迫力ある実写画像とシームレスになって「おお!新しい!」と唸るような画面がいっぱい(『エヴァンゲリオン』などの日本のアニメ、ゲームの影響もけっこうあるのでは…とも思うけど)。脚本も良くできていて家族がよく描かれているし(最初のいくつかのシーンでこの家族の人間関係やそれぞれの性格がくっきり描き出される)、筋のはこびは面白いし(ラスト近くちとご都合主義があったけどこれはハリウッド的マーケティングからいって仕方ないんでしょう)…。 しかしスピルバーグがこの映画にこめたものは、『未知との遭遇』のエイリアンとのなごやかな遭遇とは対照的に、厳しく、あまりに苦い。"悪意"そのものであるエイリアンの地球人殲滅のすさまじさは、ホロコーストの記憶と完全に重なり合っていると思う。アウシュビッツ、ガス室、水晶の夜、ヒロシマ…etc.から9.11、そしてアメリカ軍のイラク侵攻まで、20世紀の世界が経験した悪夢のイマージュが現在に甦るかのような場面が続々(このあたりはここ数年続いたハリウッドの20世紀歴史映画の焼き直しブーム…CGをつかってキレイにやり直すあたりはどーも過去を糊塗してるようで首を傾げるところも多かったが…の集大成的なとこもあると思う)。 雷が落ちるというのも西洋の信仰では"神罰"ではないかと思うのだが、それを受けて地に罅が走って地中から"悪"が立ち上がるとき、(西洋の街の中心に必ずある)教会がまず破壊されるというのも象徴的なんだろうけど、レイチェル(ダコタ・ファニング)の泣き叫ぶ声は、キリスト教文化圏にある人たちには聖書に出てくる「ラケルの泣き叫ぶ声が聞こえる」という一節を否が応でも思い出させるのではないでしょうか?(「レイチェル」は「ラケル」の英語読み)。ユダヤ人のスピルバーグに新約聖書は関係ないやんと一瞬思ったが、もともと旧約聖書エレミヤ書に出てくる一節で、そこではユダヤ人のバビロン虜囚がテーマ。それが新約聖書で再度引用され、イエスが生まれたときにヘロデ王が命令を下した幼児虐殺事件を嘆く声として書かれている。 そのラケルの声が縦糸になるところに、うがっていえばユダヤ→キリスト教の愛と正義の独善性が正当化されるというのが、この映画の悪巧みではないか? ダコタ・ファニングはまだ幼い娘の姿をしていながら、地球人らの母であり"息子たち"の殺戮を嘆くとともに、どんな手をつかっても生き延びること、そしてべつの殺戮を正当化するものでもあるわけ。 SF映画で気になる嘘のひとつ(笑)に、相手との力の差異を考えないというのがあって、ちゃんと戦闘が成り立つためには敵とこちらの力が拮抗している必要があるのだが、どうみたって相手のほうが桁違いに強いやんとか、敵が正体不明のエイリアンとかこの世のものならぬ妖怪変化とかで、いったいどんな力があるかわかんないのになんで立ち向かっていけるねん(笑)とか(それでも雄々しく闘うのが物語のヒーローとされる)いうのがあるのだが、そこはこの作品の場合、トム・クルーズは敵の圧倒的な力に歯向かっても無駄だと悟り、ひたすらひたすら逃げるのである。そして、娘を守るためには、迷惑だけど悪意はない(敵ではない味方の)隣人を殺すという…。 Directed by Steven Spielberg Writing credits H.G. Wells (novel) Josh Friedman (screenplay) and David Koepp (screenplay) Cinematography by Janusz Kaminski Cast Tom Cruise .... Ray Ferrier Dakota Fanning .... Rachel Justin Chatwin .... Robbie Tim Robbins .... Harlan Ogilvy More
『少林寺』や『方世玉』や『黄飛鴻』 Once Upon A Time In Chinaシリーズなどの李連杰を知ってるファンには、このひとも(どうせ進出するなら)もっともっと若いときにアメリカ進出してほしかったなぁ…と思う。まぁ、童顔で、アジア人特有の見た目の若さがあるからましなのかもしれないけど。このひとのキャラからいって「悪役」はまーったく合ってないんじゃないかと思うけど、アジア人キャラクターの位置だけで悪役を割り振られたりするしね。
その点、"悪人に飼い馴らされる犬"という今回のいじらしキャラはまだあってるんかもしれないけど、それにしたってなんだかアジア人のイメージを引き受けてる感じもしないでもない。この映画全体そうで、美しきグラスゴー(フランス人が親近感持ちアメリカ人のひとつのふるさととしてのスコットランド。『やさしくキスをして』Ae Fond Kiss...のグラスゴーと対照的に観光的なの)、悪い(教養がなく兇暴な)イギリス人ヤクザと芸術感性のゆたかなアメリカ人の善人たち…と、配置がいかにも、いかにも。 クロースアップ本来の機能をまーるで失ってしまった退屈なアップ画面の連続で、なんじゃこれ?と腹立たしく思ってると、やっぱりというのかリュック・ベッソンの一派(そういえばカーアクション、カークラッシュもいつものパターンだし)。 ジェット・リーのアクションはもう文句のつけようない迫力なんだし、おねがいだからもっと良い企画を与えてあげてくれ〜! Directed by Louis Leterrier Writing credits Luc Besson Cast Jet Li....Danny Morgan Freeman....Sam Bob Hoskins....Bart Kerry Condon....Victoria
この邦題もビミョー(笑)。『ベルリン上空』のもじりなのか?それにしても『ベルリン天使の詩』の原題が直訳すると「ベルリン上空」なのを知ってるやつがどれほどいるんだ?しかも(『ベルリン…』の)英語タイトルは直訳すると「欲望の翼」というのもややこし。(王家衛の『阿飛正伝』の邦題『欲望の翼』ってここから来てると思ったけど…)。
と、まったく関係ない話でした。 アイルランドのご当地映画でアイルランド的にはめっちゃ豪華なキャストです。おなじみの顔ぞろぞろ。 ケリー・マクドナルドきれい!コリン・ファレルこういうscumbagなチンピラ役よう似合ってる!『ダニー・ザ・ドッグ』で堂々ヒロイン演ったケリー・コンドン冒頭シーンにいきなり出てきてびっくり。 なんだかきっつい、きつすぎる(やり過ぎだらけ)てんやわんやの日常で、悪ガキから不良オヤジまでほんまにひっどいやつばっかり(笑)出てくるけど、不思議に後味は悪くなかったです。 悲惨も卑劣も「これが人生」で間奏曲のあいだにふと運命のひとひねりが起こる不思議…。 この監督の名前は初めて見るけど、プロデューサにニール・ジョーダンが名を連ねていて、悲惨とか絶望とかのなかにもどこか甘ったるい(センチメンタルな)楽観というか人間愛?みたいなものがあるのが救いなんでしょね。 ややもすればテレビドラマっぽく陳腐になりがちな素材を、偽ドキュメンタリーっぽいキャメラワークがあやうく救っていて、ぴりりとスパイスの効いた佳品だったと思います。 Directed by John Crowley Writing credits Mark O'Rowe Cast Colin Farrell....Lehiff Kerry Condon....Café Waitress Brian F. O'Byrne....Mick (as Brían F. O'Byrne) Kelly Macdonald....Deirdre Colm Meaney....Jerry Lynch
さいしょ邦題見たときにはラヴェンダーの咲き乱れたお庭が出てくるのかと思ったらそうでもない。よくよく考えてみればこの原題、「ラヴェンダーの(庭の)中にいる淑女たち」という意味ではなく、「ラヴェンダーをまとった淑女たち」ではないのかしらん?(ラヴェンダー色の衣服とも考えられるしラヴェンダーの香りとも考えられるけど…)。英語の達者な方、ご教示くださいませ。
この映画も、コーンウォールの風景が素晴らしいですね!海の情景、野の情景、そして海や野で働く人たち、酒場で飲み笑いダンスや音楽に興じる人たち…。ちなみに(余計な注釈ではありますが)、コーンウォールという地方はイングランドにありながら、アイルランド、スコットランド、ウェールズと同様、ケルト文化が強く残った地方です。イギリス人にとっては、フランス人にとってのブルターニュ地方みたいな(「田舎」「ふるさと」)というイメージもあるみたいですね。 マギー・スミスとジュディ・デンチという顔ぶれ見ただけで、あぁまた(『八月の鯨』みたいな)老婦人ものかい!といまいち食指動かなかったのですが、映画の日に乗じて見に行って良かったです。まだ少年らしさを残したダニエル・ブリュールくんの美しさは格別だし…。 言葉が通じにくい外国人ってなんか子どもっぽく扱われるところ(これはわたし自身よく経験したところ。とくに西洋人のばあさんがたって世話好きだし…)や、二人の姉妹のアプローチのちがい(妹は彼に英語を教えこもうとするし、姉はドイツ語を勉強する)とか、性格のちがい、ことに妹の、彼に対する恋情がかなり率直に描かれていたことに感心しました。 そういえばこの映画のプロモーションかい?とも疑われた「海から上がって来たピアニスト」くんってどうしたんでしょうね? Directed by Charles Dance Writing credits William J. Locke (short story) Charles Dance (screenplay) Cast Judi Dench....Ursula Maggie Smith....Janet Natascha McElhone....Olga Daniel Brühl....Andrea
なんかもう…うーん!と唸ってしまうほど「かっこいい!」映画です。前作『鎗火』(1999)(ザ・ミッション 非情の掟)の流れのなかにある作品ですが、一段と洗練されていて、もうジョニー・トーならではの香港ノワールの新しい美学を確立してますね。『インファナル・アフェア』シリーズなどの大作がいろんなものを無駄に抱え込んで膨れあがってしまってるのに対して、こちらは余計なものをはぎとって潔いほどのシンプルさ。長さも90分以内にきっちりおさめてこれが正しいB級魂というべきでしょう。
まず魅了されるのが尖沙咀の夜の街の情景。カメラポジションやアングル、凝った照明にいたるまで、夜の街の撮影技術に新たな時代を画していると思う。外景もだけど、もちろんいろんな店のなかの情景も。人物の(殺気立ってるのかと思うほどみなそれぞれにぴりぴりとした存在感をたたえている)姿も。 次に感嘆するのがプロットの巧みさ。ある一夜。警官の拳銃が盗まれてそれがまた見つかるまで…という枠のなかに、黒社会の暗殺と復讐、警察同士の(部署同士の)張り合いなどが緊張の糸となって、さまざまな人物の勝手な動きや思惑が交錯して思わぬところでぶつかりあったり、また離れたり…。 緊張のなかにベタなギャグがかまされ、笑いを誘うような場面から一転して残酷な殺人になったり、角を曲がると場面が一転したり、思わぬ人物が思わぬ正体をあらわしたり、嘘やろ?と笑っちゃうようなクライマックスの銃撃戦はありえなーい偶然の遭遇だったり…。黄色のペンキを無惨にかぶった車、胸を刺されてなお走りまくるヤクザ、逃げるチンピラ追う警官、警官をさらに追う警官…などなどの動きがひと筋となってべつの筋と交差し、ぶつかり、出会い、予想を次々裏切っていく展開になるのがめちゃくちゃおもしろいです。 それぞれの筋のなかにある小さな場面、たとえば警官がチンピラを「なぶる」場面、黒社会の親分が子分らを「制裁する」場面なども、普通の犯罪映画にはない凝った演出と美学が貫いてあって、いちいち唸らされますね。 ジョニー・トー、香港のタランティーノとか言われたりするそうですけど、確かにプロットなどはタランティーノっぽいけど、作品の完成度からいってこちらのほうが段違いに優れていると思う。画面の強度や場面場面の無駄のないつなぎなど、むしろエドワード・ヤンのある種の作品を思わせますね。 ところで、いつも思うのですけど、香港ノワールの警察ものって、警察のイメージアップにはぜーったい役立ってないと思うのですけど…(笑)。ほかの作品でもよくあるパターンだけどこの作品だって、警官たちがやってることって、要は、ごまかし、捏造、仲間の失策を庇う、自分の行為を正当化…でしょ?ええんだろうか…それでもちゃんとほんまもんの警察が協力してるみたいだし…(無理やりいろいろ借りてるだけか?)。 そういえば「塗りたくる」というのはひとつのテーマとなってたような…。 片名:PTU(機動部隊) 導演:杜琪峰(ジョニー・トー) 主演:任達華(サイモン・ヤム)、黃卓玲 (ルビー・ウォン) 邵美琪(マギー・シュウ)、林雪(ラム・シュー) 黃浩然(レイモンド・ウォン)、盧海鵬(ロー・ホイパン)、高雄 (エディー・コー) 片長:88分鐘
こんなに美しい村なら工場誘致よりまず観光資源の活用だろうと思うし、実際そうみたいで、ロケのおこなわれたケベック州Harrington-Harbourは昔漁村いま観光村みたいですね。この映画もいわば観光PR映画でもあるわけね。漁業の衰退でやむなく生活保護で暮らしてるひとびとはいるだろうし、工場誘致が唯一の生き残り策であるところもあるだろうけど、ちょっと最初の設定のそういう嘘が最後まで引っかかりました。まー、ケン・ローチのような社会派映画というわけでなく、"素朴な漁村の人たちの心温まるコメディもの"という系統の作品(アイルランド映画とか北欧映画とか思い出しましたが…)だから、そんな嘘はどーでもいいのかもしれないけど…。
原題 'La Grande Seduction' はJean Renoirジャン・ルノワールの有名な映画'La Grande Illusion '(1937)のもじり。したがって邦題もルノワールの邦題『大いなる幻影』をもじっているわけだけど、これって意味あるのか(笑)? (やっぱり『大いなる誘惑』のほうが良かったのではないか?)(とはいえ、ほんとのところ、原題のセンスもあんまり良いとも思えない)。 漁村の風景、海の風景の美しさは文句のつけようがないのだが、コメディとしてはちょっともたもたしていたかな?おフランス系らしく(?)下ネタ満載なのだけどあーんまり粋とはいえないし…演出は凡庸(というかむしろ下手)だと思います(ジャン=ピエール・ジャネみたいで通俗的)。 ただ、カナダのフランス語圏の俳優たち(その映画なども)ってあんまり目にする機会ないのだけど、みんな良かったですね。郵便局のおねえさんとか美しかったし…。彼らのカナダ訛りのフランス語、もっと聴きたーい!このあたりの映画、どんどん輸入してほしいです。 おりゃ!いま気づいたのだが脚本家(原作者)自身が出演しておるな〜。 Directed by Jean-François Pouliot Writing credits Ken Scott Cast Raymond Bouchard....Germain Lesage David Boutin....Dr. Paul Gosselin Benoît Brière....Henri Giroux Lucie Laurier....Eve Beauchemin Pierre Collin....Yvon Brunet Ken Scott....Richard Auger
チャンネルNECOで8回まで放送終わりました。まだまだ未登場の主要人物がいたり、先の長い物語です。(金庸の小説では、重要な人物があとのほうになって初めて出てきたり、最初はチョイ役だと思われた人物が後々すごく重要な役になってきたり、逆に初めのほうで重要っぽく登場したのにあとはあんまり活躍しなくなったり…ということがよくあります。それが物語の自然の生理なんだろう…)。
先に苦言を書いておくと、日本語吹き替え放送なんとかしてほしい。もちろん吹き替えのほうが好きなひともいるだろうけど、俳優らの中国語聴きた〜い。ってのと、日本語の乏しい音で漢字を音読みしちゃうと、固有名詞(人物名、地名)とか技の名前とかがさっぱり何を意味してるんかわからんのである。さすがに人物名は毎回スーパーで出すようになったけど…。技の名前とかそれを説明するセリフとかは(わたしは原作本読んでるからまだましだけど)、音だけで聴くと漢字が思い浮かばないのでちんぷんかんぷん。なにやらむずかしいこと言ってる…ぐらいの理解で良しとするのか?(興味のある向きは原作読んでくれということか)。 もひとつは、この中国中央電視台の金庸シリーズ『笑傲江湖』『射[周鳥]英雄傳』すべてに言えることなんだが、中国のゆたかな自然や文化遺産を惜しげなくつかったロケ撮影やかなーりお金かかってるとおぼしいオープンセットなどは、もう文句ないんだけど、たとえば戦闘シーンの平板な撮り方(ことにスタント吹き替え)はなんとかならんか…?(香港版をよく学んでほしいなぁ…)。あと、原作小説を忠実に追おうとすればしょーがないところもあるんだけど、物語を前に進めるのにセリフのやりとりだけでやってしまうと、動きのない会話シーンが延々続いてちょっと退屈になってしまうところあり。こういうのは工夫してほしいなぁ…。 てなところで、美点に移りますと…。 今回のもまた、女優陣がすばらしい! 主要登場人物のなかに約1名(笑)やたら女好きのキャラクターがいるせいもあるけど、女性の重要な人物がぞろぞろ出てきて、それぞれに善玉だったり悪玉だったり性格も技も(特技や武芸や趣味やもろもろ…)いろいろ、物語での役割もいろいろなんだけど、これだけ描き分けられているのが、ちゃんとそれぞれの雰囲気にふさわしい女優さんたちもってきていて、なるほど層が厚いなぁ…と思われる。中国の家族制度のせいなのか?親の世代と子の世代がパキっと分かれているけど、その(年増の)母親たちも、(若々しい)娘たちもほんまにきれいで可愛い! いままで出てきたなかでは木婉清、王語嫣、阿朱あたりがわたしのお気に入りかな。母親世代では刀白鳳とか秦紅棉とかやっぱり妖しい馬夫人〔鍾麗糸是(クリスティー・チュン)〕とか…。この後もいろいろ出てくるであろう。 それに較べて男性の登場人物らはだいたいパターンがわかるかな。でも段誉を演じてる林志頴(ジミー・リン)とか、お気楽なおぼっちゃまキャラクターがよくうつってる。 なお、この原作も何度も何度もテレビ化、映画化されているらしい。李修賢(ダニー・リー)とかが(もちろんもっと若い頃にだろうけど)やってるらしいし(して誰の役を?)、これはきっとそうとう原作改変してるんだろうけど、鞏俐(コン・リー)と林青霞(ブリジット・リン)が主演した『新天龍八部之天山童姥』シスター・オブ・ドラゴン 天女武闘伝なんてのがあって、見てみた〜い! 製作:張紀中 監督:周暁文/鞠覺亮 アクション監督:元彬 【キャスト】 胡軍(フー・ジュン)/林志頴(ジミー・リン)/高虎(ガオ・フー)/劉亦菲(リウ・ユィフェイ)/劉涛(リウ・タオ)/陳好(チェン・ハオ)/鍾麗糸是(クリスティー・チュン) 天龍八部 DVD-BOX 1/ マクザム ISBN : B0007TIQ5U スコア選択:
たまたま『バス174』と同じ日に見て、両方とも"〜ジャック事件"(そういえば「乗っ取り事件」とは言わなくなったなぁ…「乗っ取り犯」とは言うか…)。しかし前者が現実の事件(そこに映っていること)からあふれ出てくるような豊かさ、はみ出てくるような過剰さがあったのに較べると、こちらはいかにも薄っぺらく、現実の事件を単調な観念で貧しく解釈し直してしまっただけ…という感じがしましたね。
日本でも「勝ち組」「負け組」なんて嫌なことばがはやって久しいけど、アメリカンドリームの国、夢を実現させて成功することが最上の人生目標とされる国、アメリカでloser(負け犬)になってしまうことってきっついことだと思う。言うても日本で負け組になったとしても「貧乏籤を引いた」みたいに「運が悪かった」という言い訳があって、どこにでもそれなりに救いはあるやろうと思うのだが、アメリカ(のように自立して自分で人生を切り拓いていかないと一人前とは見なされない社会)で敗北者になるということは、それはもうダメ人間の烙印を押されたことに等しく、それは人生そのものの敗北なのだ。positive thinkingであれ、believeするセールスマンこそreceiveするセールスマンだとかであれ、前向きであれ、成功せよ、「何者か」であれ、というかけ声は、強迫観念のようにひとびとを脅かし、そこに適応できない者をビョーキにしていく。主人公はそれほど貧しい階級ではないと思うのだが、どんな階級であっても、そのなかでloserになるやつ、敗北するやつがいて、成功するひとびとに一方的に踏みつけられる役割を引き受けることになってしまうのだ。(主人公がブラックパンサーの事務所を訪れて「ゼブラのように連帯しよう」などと頓珍漢なことを持ちかけるのは、階級闘争と、成功者と失敗者(それこそ勝ち組/負け組)のダイナミクスとを取り違えて大きな勘違いしているからにほかならない。ドン・チードルへの友情は本物だとしても、ドンのほうでは、自分とその家族に見当はずれの親近感抱いてくる主人公を扱いかねてるところが見えるしね)。 …という映画の筋書きはわかるんだけど、わかりすぎて、それが一本調子に過ぎたかな。主人公のキャラクター(またそういう大それた事件を起こした動機)がloserという一点に集中していて、ゆらぎも葛藤も深みも広がりもない。ショーン・ペンだからこそもったんであって、ようこんな単調な演出(脚本)のなかでこれだけやったなと誉めてあげたいぐらい。(ナオミ・ワッツふくめて周辺の登場人物もみんな主人公がloserであることを補強するために出てくるだけやし…)。 これ見てゆくりなくも思い出してたのが、そのショーン・ペン自身が監督していた11'09''01 - September 11(2002)『セプテンバー11』のなかの短編(segment "USA")です。9.11事件をモチーフにしながら、そのニューヨークの繁栄の象徴のすぐそばで「陰になって」生きてた、いわば象徴的なloserが思いがけなく光によろこぶことになるそのオチがすばらしくよかった!(ネタバレしないように(笑)わざとわからなく書いてますけど、未見の方はぜひ…)。 この映画、そしてこの映画の主人公(また現実のその事件の犯人)も、あるいは9.11をきっかけに(歴史を遡及するかたちで)あらためて光があたったのかもしれないけど、どんどんみじめになってく主人公があまりに哀れで、それも納得ずくの哀れさで、「何者かになりたいからといって、こんなふうになってはイカンよ」としょむない教訓しか読み取れないていどの後味の悪さだけが残りました。 Directed by Niels Mueller Cast Sean Penn .... Samuel J. Bicke Naomi Watts .... Marie Andersen Bicke Don Cheadle .... Bonny Simmons
リオデジャネイロで2000年6月12日に起きたバスジャック事件のドキュメンタリーなんだけど、よぉこんな映像撮れたなぁ!…と思うとひたすら警察の不手際らしい。ほんとにバスのすぐ近くまで大勢の報道陣が(野次馬も)近づくことができて、バスのなかの一部始終をカメラに収めてたんだもん。
その生々しい映像と、そのときに何が起きていたかをあとで証言する人たち。その現場にいた人質の人たち、警察の人たち、報道陣…。それから犯人周辺の人たちは犯人の人となりや来し方を証言する…。 映画作家は、この手のドキュメンタリー映画がよくあるような、社会的不正(リオの貧困層、ストリートチルドレン、警察や刑務所のあまりにもあまりにもひどい実態…)を訴えるようなスタンスで撮ってるんだけど、その意図を超えてはみ出てあふれだしてくるものがものすごい。 犯人自身「これは映画じゃないぞ!」と言いつつ、「映画のようにこいつ(腕にかかえて銃を突きつけてる人質)を窓から放り出すぞ」とか、「映画」「映画のヒーロー」をそうとう意識してるけど、つくられた映画ではとてもじゃーないが、こんなシナリオは書けないだろう。考えうるかぎり最も愚劣で、最も後味の悪い結末だ…。それがこうして一本の作品にしてしまうと、そのように愚劣な「筋書き」がひとつの物語となってここに現出してしまうのだけど。 犯人が男の学生なんかはあっさり解放して女性ばっかり人質に残したのも、その女性たちへの対応も(あるいは証言からみえるソーシャルワーカーや伯母さんや周囲の人たちとの関わり合いも)、母親への追慕を思わせて哀れだ。その状況を証言する(人質だった)女子学生の知性(洞察力)にもびっくりしたけど、ちょうどバスの窓ガラスに人質女性が口紅で書いた文字がそうであったように、外から見ていたドラマと、中にいる人たちのドラマがちょうど逆転している。 外からは聞こえていなかった、バスの中での親密な会話。それを通してみると、髪の長い(多くは白人の)女性たちに囲まれて突っ立った(黒い)犯人の像は、何人かのマリアら美しい信者に囲まれた犠牲のキリストの絵にすら見える。…その中と外の境界が破れるとき、ドラマの破綻が起こって…。 そうそう。森達也なんかのドキュメンタリーでもしばしば体験するけど、ドキュメンタリーでよくある「証言するひとたちの映像」、見てて、そのひとの言ってることが「嘘だ」とか「言い訳だ」とか「ああ、これってあとから辻褄あわせてるだけだな」とか、わりとわかりやすいものですね。(わたしって日常生活ではそういうところものすごーく鈍感で、ひとから嘘をつかれててもぜーったいわかんないし、自分が嘘をつくと簡単にばれてしまうのが気づいてないんだけど…)。ちゃんとそれが「嘘だ」とわかるように撮ってるせいなのかな? Directed by José Padilha Felipe Lacerda (co-director)
前作『永遠と一日』のラストも、生から死へと移行するときの人の意識を描いていたが今回のはもっと大胆に、死者たちの意識を丁寧に描き出している。家族はみなバラバラになってそれぞれが孤独に死ぬ。ひとりひとりの魂はいつまでも孤独で、孤独な魂はこのように家族を恋いるのだと…。
あとから考えると(タイトル画面が昔の家族写真の構成だったことも思えば)すべてが、作品全体が、リアルな場面というよりは死者たちの側からみた追憶かもしれない。死者たちによる追憶の家族史。追憶の再構成。だからこそ一つひとつの場面があれほど強烈に美しく、深く烈しい感情に覆われている。 いや、イマージュがセンチメントに「歪んでいる」といったほうがいいかもしれない。人物らを隔てるのはいつもなにか流れるもの(水であったり人々であったり歴史のうねりであったり)であり、ヒロインは(女は)「涙を流す者」である。あり続け、その涙の湖に浮かぶ映像のように、歴史の映像はいつも「水」に映し出されて、それは歪んで、揺れている。(最初の場面で逃げてきた家族らの前に水たまりがあって、そこに映し出される家族像の顔たちのように…)。 それにしてもなんという贅沢な映画的時間であろう! よくまぁあんなオープンセットを拵えたものだ!(幻想の村) またその村がぜんぶ水没するイマージュのものすごさ。ラストの湖はじめ水に浮かぶ/水のうえを滑っていく/水に沈む人々の営み…。一面にはためく白いシーツとか、樹につるされた羊たち…。彼岸と此岸(それを繋ぐもの/渡るもの)、水のイマージュ(あと樹々とか土とか…)、音楽とダンス、劇場と演じる人たち(神話的人格たち)、歴史の流れを走る/行進する/自転車に乗る/旅する人々(船や列車や…)…といったアンゲロプロスを見続けている観客にはお馴染みのテーマがこのたびも縦横無尽に展開されていて、名人の映画藝を存分に楽しめる。 Directed by Theo Angelopoulos Cast Alexandra Aidini....Eleni Nikos Poursadinis....The young man/Alexis Giorgos Armenis....Nikos, the violon player Vassilis Kolovos....Spyros
劇場公開版をテレビで見ました。
岩井俊二って嫌いなのですが、どこか馬鹿にしていたところがあるのですが(失礼!)コレ見たらやっぱりたいしたもんだと思ったなぁ…。 監督本人がそういう嗜好あるかどうかわからないが(あるいは偶然かもしれないが)、これって、少女マンガの世界なのですよね。昔だったら陸奥A子。(わたしは嫌いだったけどやっぱりひとつの世界があった…)。世界をゆるがすような力はないけど(どっちかってーとおじさんに都合の良い少女イメージかもしれないけど)、ほんまにひたむきでちょっとエキセントリックでいとおしい少女の世界…。この映画に出てくるあれこれ、バレエを踊る少女、そのバレエのポーズの数々やみんなの笑顔、そして「あなたは記憶喪失です」なんて奇想天外な戦略でもってあこがれの先輩をゲットしようとする恋愛戦略とか(その先輩の優柔不断さも(笑))、少女っぽさがまるでぬけない恋愛中毒の母親とか、父親とのまるでデートのような甘い甘い休日とか思い出とか、かわいいものでいっぱい(だけど掃除してない)ごちゃごちゃの部屋や花いっぱいの家といったしつらえや小道具から、少女の仕草や姿勢や態度などの細部にいたるまで、みーんな少女マンガから抜け出してきたような…主人公の二人の少女はもちろん、周囲もみんなみんなとっても愛おしいです。 母親役の相田翔子とか、そのボーイフレンドの阿部寛とか、一見単なるおっさんだけど声の良い父親役の平泉成とか、めがねかけたきっついマネージャーでしかし私生活は男に甘いらしい(笑)広末涼子とか、大沢たかおとか大森南朗とか大柴ルーとか、周辺のチョイ役にも結構いい顔が出ていて、それぞれ味出してたのもなかなか…。 出演 鈴木杏/蒼井優/郭智博 監督 岩井俊二
これのこと訂正しなければ…とずっと思いつつしてませんでした。
わたくし『笑傲江湖』は金庸の小説のなかでもピカイチだと思ってて、それとはまた全然別のものとしてキン・フー(胡金銓)の監督から始まりツイ・ハーク(徐克)に簒奪された香港映画『スウォーズマン』のシリーズも好きで、その映画的イメージがずいぶんたくさん受け継がれていたので、香港のテレビ版『笑傲江湖』(リッチー・レン+アニタ・ユン版)もてっきりそんなふうに原作をかなり大胆に改変してしまったものと決めつけていたのでした。ところが、最後まで見てようやくわかったのが(^-^;日本で発売されてるDVDって大幅に中抜きされてしまってるのね。そういえば話がずいぶんどんどん飛ぶと思ってた。BOXに入ってるのはまぁいえば総集編。だって、令狐冲と任盈盈を中心とするごくわずかな主人公らの一群の旅のゆくえだけを追っかけていて、たとえばわたしの好きな儀琳さんはじめ恒山派の人たち、タイトルバックには登場するのに彼女らが活躍する本篇が入ってないんだもんね!(あんましや…)。 ということがわかってからあらためて考えると、テレビ版のコレは、映画版とはちがってけっこう忠実に原作の流れを追っていたのかな?と思います。 で、その流れをまた受け継いだのが大陸版(李亜鵬+許晴版)だろうかと。正直言ってアクション場面の迫力などは香港版に一歩引けを取るもののロケ撮影も豪華だし俳優陣も綺麗だし(ただ任我行の役は香港版の李立群に圧倒的に迫力あったかなぁ…。でも変面の技使ってた余滄海とか凄みあったけど)お金も国力もかかっとるなぁと。殊に、楽曲の名前が小説の名前になってる一篇であるだけに、音楽がちゃちっぽかったら目も当てられないよね。その点、趙季平の主題歌も音楽もめちゃくちゃ決まっててこちらは大陸版に軍配。大陸版はこのあと『射[周鳥]英雄傳』『天龍八部』に企画は引き継がれていくんだけど、どうも主題歌聞くだけでだんだんテンションは低くなっていくような…。もっともロケ撮影の豪華さはあいかわらずか。 おまけに… More
『ミリオンダラー・ベイビー』でアイリッシュ系のあれこれが出てきたけど、たまたまレンタルDVDでコレ見てて、vol.2に入ってる一篇でマイケル・ムーアがニューヨークのセントパトリック寺院でしおらしく神妙に無心に(まるで無垢な顔して)(笑)神に祈っているシーンがあって(もちろんネタのひとつでそういう演出をしてあるだけでこのひと本人にそういう信仰心があるのかどうかはわからんが)、ああそういえばMooreという姓も典型的なアイリッシュ系名前だなと思い当たる。
で、そう考えてみればマイケル・ムーアのキャラってわりとステロタイプなアイリッシュ系なのよね。巨漢で太鼓腹で鼻がでかくて(本人酒飲みかどうかは知らないがこれが酒飲みで赤くなってたら余計に…)、狂気に近いほどのきっつい皮肉なギャグセンスあって、正義感で(あるいは夢想的な理想家で)、何よりも貧しくて…(今は貧しくないかも…)。 で、そういう典型的な貧しい白人のアイリッシュが、敵に選ぶのが(もちろん大企業の幹部などターゲットにする層にたまたまそういう人が多いというだけだろうけど)金持ちで貪欲なユダヤ人…という図式が多いのかなと気になってしまった。(vol.2に入ってるのでは"I love Lucy"をもじって "I see Lucy"なんてシリーズのサカナにされてしまうLucianne Goldberg(クリントン元大統領のモニカゲート事件の暴露のきっかけつくったゴシップおばさん)なんてひとが、もう、なんつーか、そのふてぶてしさとかギャグセンスとか顔の雰囲気もふくめて、あぁユダヤ人…という感じで、こういうところも(アホで間抜けな白人層)アメリカ社会の恐ろしさがあるかなぁ…と。このシリーズ、もちろんそれだけじゃなくって、見てると、アメリカのいろんな地方(西部、中部、東部、都会に田舎…)のイメージとか、大企業の数々とか労働実態とか、いろいろ見えておもしろいです。 ドキュメンタリーではまったくなくて筋あって演出あってつくりもんのギャグがいっぱい入っててショウアップされた政治的ヴァラエティショーなんだけど、その手法が後の『ボウリング・フォー・コロンバイン』とか『華氏911』とかにも受け継がれる。かならず成果を(あるいはなんらかの変化を)誇示しなければならない(つまり起承転結の物語がちゃんとある)というのが鬱陶しくなくはないとはいえ、よくできたやつはほんまにおもしろいです。とくにきっついネタ、vol.1に入ってた喉頭癌サヴァイヴァーによるクリスマスキャロルとか、vol.2の健康保険に入ってない病人たちのWorkCareとか(いずれもネタバレはしませんのでどうぞこれからご覧になるかたがたはお楽しみに)がなーんともいえんかった。HIVポジティヴなんつってるおばさんとか、元患者いま患者とかが真剣に演じてんだもんなぁ…。 "The Awful Truth" (1999) [TV-Series 1999-2000] Directed by Michael Moore マイケル・ムーア 元祖 ! アホでマヌケなアメリカ白人BOX/ アット・エンタテインメント ISBN : B0002HB4E2
これもちょっと前に見てたのだけど何とも書きようがなかった(笑)。
Seu Jorgeがポルトガル語で歌うDavid Bowieが良いなぁ…。ってそれくらいか(笑)。あとオーウェン・ウィルソンてなぜか東洋系のアクションと組み合わせるのが似合うのはアメリカを代表する田舎モン〜って感じで(ホントはそうじゃないでしょけど)どこか愚鈍な雰囲気を漂わせているからだろうか…とか。 でもこういうたんらたんらした(脱力系というか?)喜劇がいまふうなんだろうなぁ…マジかと思えば冗談で(パチモンで/ヤラセで/おちゃらけで…)、冗談かと思えばマジ入ってて…というか(ことに親子とか家族とかいうテーマに引っかかるのはなぜだろう?正面対決はしないのだけど避けながら避けながらいろいろ冗談めかして防衛しながら性懲りなく舞い戻ってくる感じ…『ロイヤル・テネンバウム』もね)、こういう、なんというか、いつもフェイントをかけながらそのナサケナサを甘んじて受けつつマジを生きる映画というのがいいのだろう。 そういうある意味切実なリアルさって(いつも嘘っぱちのロマンばっかりやらされてうんざりしている?)スターたちの共感を得るのか?ケイト・ブランシェットだのウィレム・デフォーだのアンジェリカ・ヒューストンだのジェフ・ゴールドブラムといったすっげえ俳優陣が、ほんとに生き生き楽しそうに演じているのがまた良かったです。 Directed by Wes Anderson Cast Bill Murray....Steve Zissou Owen Wilson....Ned Plimpton Cate Blanchett....Jane Winslett-Richardson Anjelica Huston....Eleanor Zissou Willem Dafoe....Klaus Daimler Jeff Goldblum....Alistair Hennessey
そういえばアイリッシュ・カトリックが重要な劇的要素となるこちらの映画もずいぶん前に見たのだが書きそびれていた。原タイトルはロバート・バーンズのスコットランド語の詩から来てるし…。
こちらでのカトリックは厳格で容赦なくて主人公らを引き離そうとする保守的な力として作用するんだけど、ヒロインは美人で芸術的で情熱的なのが第三者のセリフのなかでも「(いかにも)アイリッシュ娘」とか言われてて、すごく魅力的でした。 監督がケン・ローチだから社会的状況についての視線や描き方が的確、すごくリアルで厳しいのはいつものことながら、それ以上に「ロミオとジュリエット」の型を踏襲する二人の恋愛物語が美しかった。(恋愛の駆け引きやとまどい、ためらい、優柔不断、セックスもふくめてやりとりなんかもリアル…)。パキスタンからの移民家族も、ケン・ローチがしばしば描くような最底辺の層ではなく、どちらかといえば中流。第一世代の親が食料品店なんかをやって必死に働いてお金を貯めて家を建てて、子どもたちの世代にはしっかり大学教育を施し、良い嫁、良い婿を迎え、階級をよじのぼっていこうとする…。こういう家族は、どこの世界の移民にも多いですよね。(日本の国内でも田舎から都会に出てきて…というようなモメントが多かったかも…)。子どもらの世代は、そういう親の意向を強く内面化して保守的になる子(この映画では長女がそのタイプ)、親の意向に反発して自由を貫こうとする子(この映画では末娘)がくきっと分かれてて、主人公の長男ももともとは「いい子」で親の意向には従っていこうとする子だったのが、女性に出会うことによって、恋愛によって、揺れながら揺れながら変わっていくんですね。 グラスゴーという舞台も(『ロミオとジュリエット』にヴェローナという都市が、『ウエストサイドストーリー』にはニューヨークが必要だったように…)良いと思います。工業都市でどこか煤けた暗さがありながら、やっぱりスコットランドの伝統がそこここにずっしりと残っている。そして何よりも、音楽などに異彩を放つアーチストらをたくさん輩出している…。 Directed by Ken Loach Cast Atta Yaqub....Casim Khan Eva Birthistle....Roisin Hanlon
最後の対戦相手、娼婦上がりで汚い手を使うチャンピオンの「青い熊」を演じたLucia Rijkerは実際にボクサーですね(オランダ系でタイのキックボクシングの経験もありとか)。クレジット見ると彼女がヒラリー・スワンクへのボクシング指導もしてたような…。
あとクレジット見てておよ!と思たのがMorgan Eastwoodという名前。セリフのない出番もほんのわずかしかない役だけど、ヒロインが父親にそれなりに愛された少女時代と愛犬を思い出す重要な役です。これが、クリント・イーストウッドの娘。で、この名前はモーガン・フリーマンからいただいたのでしょうか? しょむない話もいっこすれば、予告編見てた段階からイーストウッドの短い白髪とギョロ目にエディ・タウンゼントの姿を思い出さずにはいられませんでした。体型は全然ちゃうけどね。(で、見るとやっぱりちょとちがってましたが(笑))。 アイリッシュ系の細部の数々もうれしかった。かつてジャック・デンプシーなんてボクサーもいて今でもアイリッシュ系のアイドルだったりしますけどホワイトトラッシュの貧しく教養のないひとびとの故郷であるとともに(ヒラリー・スワンク本人も貧しい白人層の出ですかね?)、緑の衣をつけた神父さんとどーでもいい(笑)神学議論をしたり、ゲール語を勉強しヒロインにそこから取った名前をつける(モ・クシュラは愛する者でありわたしの血…つまりここで「娘」という主題がはっきりするわけ)主人公の誇りも身に沁みるし…。(ところでイエイツの詩のゲール語サイトなんてどなたかご存知ありませんかね?いまざっと検索したのだけどなかった…そもそもゲール語知らんし…。いきなり個人語りはじめるけど(笑)アイルランド旅行中に、知り合った現地の方々にちょこっとだけ教えてもらったのが懐かしい思い出…)。 それにしてもなんて贅沢な、豊かな、映画時間かと思います。イーストウッド自身の音楽も素晴らしいし、静かでつつましく(また「つましく」もあり)決して感情過多にならないなかにユーモアをたたえた会話とか、なによりも色味を抑えて暗〜いなかにぽっとそこだけ光があたったような画面の設計。風景であれ、人物がいるシーンであれ、なんでこんな画が描けるんかと思う…。全体的には静かにドラマが進行していくなかに、ヒラリー・スワンクがどんどん勝ち上がっていくところの胸のすくようなノックアウトシーンとか、余計な飾り立て一切無用にとっても潔いし…。 ラストについては賛否両論だったかと思いますが『海を飛ぶ夢』なんかのあざとさ(卑劣さ?)に較べればメロドラマの図式にしっかりはまったこれでいいんでしょうね。この切実さを避けがたくするための伏線がずーーーっと張り巡らされてあったわけだし…。倫理的、理性的な議論ナドはそのあとで…。 Directed by Clint Eastwood Writing credits (WGA) F.X. Toole (stories) Paul Haggis (screenplay) Cast Clint Eastwood....Frankie Dunn Hilary Swank....Maggie Fitzgerald Morgan Freeman....Eddie Scrap-Iron Dupris Original Music by Clint Eastwood Cinematography by Tom Stern
原題は『ハバナ組曲』。なるほど!そのタイトルが出て映画が始まってすぐに、意図は飲み込める。ハバナの一日、人々の生活の音・リズムがサンプリングされ、構成されて音楽になり、それが各所でメロティを奏で、やがて大きな組曲として組み立てられていく…。
すぐに思い出すのが昔々のアヴァンギャルド映画、ヴァルター・ルットマンの『伯林—大都会交響楽』(1927年独)も、こんなふうにベルリンの一日を音とリズムを構成しながら交響楽に仕立てていくものでした。それと、労働の音と風景を組み立てていくシークエンスなどにどうしても思い出さずにいられないのが、ジガ・ヴェルトフのキノ・プラウダのシリーズ。工場などの現場を撮りながら、やっぱり「働く音」「機械の音」とリズムを構成して、あたかも生産の喜び、労働の喜びを顕彰するような、社会主義リアリズムのテイストもちょっと入りながら厳密な構成はやっぱりロシアン・アヴァンギャルドである一連の作品。 監督の来歴は全く知らないのだけど、察するにこのへん勉強してんじゃないだろか?キューバが社会主義国だからいうわけじゃーないが、20世紀初頭のアヴァンギャルドのダイナミックな動きから生まれたドキュメンタリー映画、社会主義ロシアから生まれたアヴァンギャルド映画の伝統健在なり!と叫びたくなってしまった…(笑)。(いま世界ではっきり左翼傾向映画をつくってるのはイギリスのケン・ローチぐらいかもしれないが…)。 ただし、それら昔々の気骨あるアヴァンギャルド映画からみると、かなーり通俗化されて軟弱になってしまってるところが、ちょっとがっかりです。(てーかそれが時代なのか?) 組曲を構成するメロディが耳当たりの良いあたりまえの音楽であること、また登場人物らも良いのだけどやや俗なメロドラマっぽい演出がなされていて、センチメンタリズムに訴えるようなところがあること。ただ、まぁ、こういう通俗性があるからこそ、それなりにたくさんの人に訴えるものがあるんでしょうけどね。 七藝、めずらしく(笑)観客でいっぱいでした。これはとってもめでたいことです。 Directed by Fernando Pérez
「狸御殿」シリーズの雷蔵はほんとに明るい明るいプリンスぶりで、「明るい」ほうの雷蔵の当たり役のひとつ。もう反面の「暗い」(=陰のあるヒーローてやつね)雷蔵の当たり役といえば、まぁ『大菩薩峠』の机龍之助なんてのも忘れ難いのですが(なんせ冒頭いきなり人を斬る…しかも罪もない無抵抗の老人を何の理由もなく無惨に斬って捨てるなんてヒーロー、古今東西無比ではなかろうか?)、もすこしポピュラーなのでいけば、なんといっても『眠狂四郎』でしょう。
ところがこれって、大映で雷蔵のシリーズが作られる前に、東宝で鶴田浩二がやってたんですね!しかもそれが初の映画化。それを今月、チャンネルNECOが放送してくれてます。 まだ若い頃の鶴田浩二で綺麗綺麗!(鶴田浩二は後年いいかげん渋くなってからも良いけど若い頃の美しさも格別なのだ)。演出はわりとたらたらしてるけど、俳優らの顔ぶれはさすが東宝というか、勘所を押さえていて、河津清三郎、藤原釜足、上田吉二郎、三井弘次あたりも良いのだけど、今日放送してた第二作では平田昭彦の「いたちの源次」とかもいいな。女優陣もみんな美しくて、津島恵子、若山セツ子、中田康子とみんなそれぞれ個性を生かした役どころ。第一作の青山京子、第二作の河内桃子なんてのも可愛い可愛い!(河内桃子って、幸田文だったか青木玉だったかの随筆にも出てきますね。伯爵(だったかとにかく華族)の令嬢でほんとに美少女だったとか…。『ゴジラ』のヒロインがもっとポピュラーでしょうけど後の平成版にも出てたのがうれしかった!) おっと話がずれました。というわけで、鶴田浩二の眠狂四郎も素敵、雷蔵の狸御殿も素敵なのですが、かくなるうえは、オダギリジョーにも眠狂四郎をやってもらわないとね!(雷蔵の次には松方弘樹でしたがこれはもともとキャラが明るいひとなのでちと似合わなかった。田村正和のも見た覚えあるのだがこれはわりとはまってましたな。)たしか設定がハーフだとかで雷蔵も髪の毛を茶色っぽく染めてやってたような…。そういうとこもオダギリジョーにぴったりじゃない?とか…。 眠狂四郎無頼控 1956年・東宝・86分 監督:日高繁明 出演:鶴田浩二 津島恵子 青山京子 河津清三郎 北川町子 眠狂四郎無頼控 第二話 円月殺法 1957年・東宝・91分 監督:日高繁明 出演:鶴田浩二 津島恵子 小堀明男 河津清三郎 若山セツ子 眠狂四郎無頼控 魔剣地獄 1958年・東宝・92分 監督:川西正純 出演:鶴田浩二 木暮実千代 多々良純 水野久美 森繁久弥
木村恵吾の「狸御殿」シリーズ、わたし主なものはほとんど見ているのではないだろうか(しかもちゃんとフィルム上映のスクリーンで…われながらそんなもんどこで見てるんやと思うけど…)。高山広子、宮城千賀子(宝塚の凛々しい男役がぴったりだった頃の)や美空ひばり(監督はちがってたか)の白黒版も、若尾文子+市川雷蔵のカラー版のも…。そのとっても目出たくむちゃくちゃ楽しいちゃっちい書割りセットの映画おとぎ話の俗っぽくてきらびやかな雰囲気そのまんまに、これを現代版にしたらなるほどそのとおりだろうなぁと納得するところばかり。
ポップでリズムもメロディも口につきやすい音楽は、今やればなるほど大島ミチルに白井良明(にスカパラ)だろうし、木村威夫の美術もCGも平成狸御殿にぴったりだし、ロケ撮影やっててさえなんだか書き割りみたいなんだもんなぁ…ひとつひとつのショットやそのつなぎかた、俳優らの動かし方などは確かに清順流の外連味たっぷりの演出だし、唐から姫様をお迎えするのとおなじく、『ローマの休日』であったり『ロミオとジュリエット』であったり『白雪姫』であったり、まったく脈絡ない引用も楽しいし…。 デジタル出演の美空ひばりは、これ見ててぼーっと思ってたのが、そのうちコレみんな(大衆料金でできるようになれば)お葬式でやりだすんだろうなぁ…ってこと。まぁ、生前に撮ったビデオかなんかで故人自ら会葬者に挨拶ってのは今でもやってるか…。 チャン・ツィイーとオダギリジョーは脚の風情が色っぽかったです。そのむきだしの脚のように、なーんも考えなくても楽しい楽しい映画時間のなかにちらりと見える奇妙さ(奇妙さのゆえにあたまのどこかに引っかかりなにか色っぽい記憶/印象を残す)をかみしめながら、木村恵吾に化けた鈴木清順(その逆か)狸を味わう、二度も三度もおいしい映画かと思います。 監督:鈴木清順 キャスト: チャン・ツィイー、オダギリ ジョー、薬師丸ひろ子 由紀さおり、山本太郎、高橋元太郎、パパイヤ鈴木 篠井英介、市川実和子、平幹二朗
昔っから、主人公が中肉中背だとすると,周囲の脇役、チョイ役にデブ/ヤセ/チビ/ノッポなど体型的に(見た目に)特徴ある人物を配するのって,常套手段ですね。
なかでもよくつかわれるのは「デブ」です。少女マンガなんかでも必ずいるもの。ヒロインの友達に一人,肥った子が。(わたしって実生活でもそんな存在だったかなぁ…華やかできれいな級友のまわりにいるデブのコミックレリーフ)。身幅があるので見栄えがしやすいってのと,ほっとできるような存在、滑稽なイメージを周囲においとくと落ち着くって感じなんだろうか? プリュイット・テイラー・ヴィンスもフィルモグラフィー見てるとずいぶんたくさんの映画に出ていて,たぶんなかにはただの(これまでの画一的イメージにはまった)「デブ」の役もあると思う。 でも,このひとの場合、ただの「デブ」ではないところがいいところなのだ。 顔つきは(よくあるデブの典型で)赤ちゃんを思わせるようなかわいい感じなのに,目つきがあやしい。焦点が定まらずうつろな感じで…。全体的な存在感も、なにか性格俳優的な屈折をにじませている。齢くってますます怪物的なとこに磨きがかかってきたかな?でもわたし個人的には(ジャック・ニコルソンみたいなのはぜーったい受け付けないけど)けっこう好きかも(いわゆるデブ専みたいな嗜好はないけど)。 日本でいまトレンディなデブといえば(笑)、『真夜中の弥次さん喜多さん』で荒川良々がなんかすごい役やってましたが、クドカンにとっての良々って,James MangoldにとってのPruitt Taylor Vinceみたいなもんかなぁ〜と思います。 もちろん'Identity' (2003)『アイデンティティ』が強烈でしたけど,マンゴールドのデビュー作にあたるのかな?'Heavy' (1995)『君に逢いたくて』(←これはビデオタイトル。残念ながら劇場未公開ですがまだデビューしたばかりのLiv Tylerがすっごく綺麗でオススメ)での彼も良かったです。やっぱり主役なんだけど旧来の主役のイメージではない。いわゆる「引きこもり」とか「マザコン」とか一言で言ってしまうと身も蓋もないけど,そういう世の中に適応できない主人公が適応できなくておろおろしているあいだにどんどんドつぼにはまってく心理経過がすごく丁寧に描かれていました。 『アイデンティティ』もプリュイットの大きな(きったない)からだに隠された人格としての「子ども」がカギだったわけですが,「子ども」って(今年のカンヌのパルムドール受賞作もズバリ「子ども」というタイトルでしたが),いまの世の中のキーワードでしょうか。じっさいの子どもたちだけでなく,立派に成人した人たちでさえ,幼児的ナルシシズムそのまんまでおとなになってるようなのが多い(わたし自身もそうかもしんない…)。 プリュイットのイメージは、大人になれない万年子ども。どこか無垢で無邪気でナイーブでいながら,大人社会からすればお荷物で迷惑で、じつは危険ですらある存在です。たとえばニートとか引きこもりとか呼ばれている存在ってのは,大人になれない不完全な存在かとみえて、あるいはもっと主体的に大人への成熟を拒否しているのかもしれない。この社会の歪みを自らのからだをつかって表象し,そのうち顛覆(大袈裟だけど)の契機ともなりうるのかもしれません。 ![]() *写真は'Constantine'『コンスタンティン』より。 二人ともわたしの好きな役者なのだがなんか光と陰のようじゃ…。 Copyright © 2002 Warner Bros. Pictures Inc.
シネフィルイマジカで見ました。
画質からいってこれってホームヴィデオで撮られてるでしょうか?それでこれだけのものが撮れちゃうのだなぁ…とまず驚き。 それでもこのごろよくあるドキュメンタリー風ではなく、ドグマ一派のようでもなく、きちんとシナリオがつくってあって俳優もちゃんと演出通りに演技していてコンテ通りに撮られていると思しい。古典的な劇映画の形式をちゃんと踏んであります。 ヒロインの眉毛が太くて髪も瞳も黒みが多くてきつそーな顔はポルトガル系のひとつの典型なのでしょうか、思い込んだらもう一筋、妥協なんかありえない、意固地そうな表情が印象的で、そりゃーそのやりかたでは多くのひとたちの共感は得られないでしょう(無理もない)とも一方で思いつつ、その主張のただしさ、その存在のありようしか彼女にはないことが、ひしひしと胸に迫ります。フランスにいるポルトガル系のひとたちが、ふだんは「おとなしい」「体制によく順応している」と思われてるってのも初めて知った(というか、まぁ、社会問題とか表立って出てこないってことはそうなんでしょうけど…)。ポルトガル語の原題は英語にすれば'Get a Life'の意味だそうです。 Directed by João Canijo Produced by Paulo Branco Cast Rita Blanco....Cidàlia
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